日本の国民食・カレーライスの原点 蜂カレー

蜂カレー

蜂カレーは日本初の国産カレー粉を開発した、二代目 今村弥兵衛伝承の調合にもとづきカレーカンパニーハチ食品のフラッグシップとして原料となるスパイスの選定、調合、製法全てに最高峰を尽くして開発しています。

日本の国民食・カレーライスの原点 蜂カレー

蜂カレー

蜂カレーは日本初の国産カレー粉を開発した、二代目 今村弥兵衛伝承の調合にもとづきカレーカンパニーハチ食品のフラッグシップとして原料となるスパイスの選定、調合、製法全てに最高峰を尽くして開発しています。

蜂カレーのストーリー 蜂カレーのストーリー

日本の国民食カレーの歴史は2人のパイオニアの挑戦から始まった 日本の国民食カレーの歴史は2人のパイオニアの挑戦から始まった

1905年日本発の国産カレー粉を開発・発売したハチ食品(当時:大和屋)二代目 今村弥兵衛
1905年日本発の国産カレー粉を開発・発売したハチ食品(当時:大和屋)二代目 今村弥兵衛

明治38年、ハチ食品(当時:大和屋)二代目の今村弥兵衛は、大阪で薬種問屋を営んでいました。
ある日、漢方薬をしまってある蔵に入ったところ、なにやら良い匂いが‥。その香りが、当時海外から輸入されていたカレーの匂いと似ていることに気付いた弥兵衛。良い匂いのする柳行李をあけてみるとウコンや唐辛子といった香辛料が入っていました。これをきっかけに弥兵衛はカレー粉製造に勤しみ、当時、日本初の国産カレー粉を「蜂カレー」と名づけて発売しました。

「カレー」という言葉を広めたのは福沢諭吉? 「カレー」という言葉を広めたのは福沢諭吉?

日本に初めて「カレー」という言葉を紹介したのは福沢諭吉です。福沢は1860年(安政7/万延元年)に「増訂華英通語」という辞書を出版し、この中でカレーという言葉を日本で初めて紹介しました。今や、日本の国民食と言えるカレーの歴史は二人のパイオニアの挑戦から始まったと言えます。
※日経新聞参照

「蜂カレー」の名前の由来 「蜂カレー」の名前の由来

薄暗い蔵の中でカレー粉を作っていた弥兵衛が、ふと顔を上げた時、窓に一匹の蜂が止まっていました。
その蜂に朝日が注がれ、黄金とも飴色とも言えるような輝きを放っていたのです。
その輝きが、えも言われぬなんとも素晴らしい光景に見えたため、弥兵衛はこのカレー粉の名前を「蜂カレー」に決めました。

昭和初期、広く愛される蜂カレー 昭和初期、広く愛される蜂カレー

蜂カレーは発売より間もなく、関西や九州をはじめとした全国の家庭に広がっていきました。当時の商品からパッケージには「蜂」のマークが描かれていたため、カレーライス自体が目新しかった当時は、「本物の蜂が入っているのですか?」というお問合せも多かったと言います。

昭和後期に販売休止、そしてリニューアルして生産を開始 昭和後期に販売休止、そしてリニューアルして生産を開始

一般家庭に広まっていった蜂カレー粉でしたが、昭和後期に販売休止。
販売休止から何十年も経つ今でなお、「蜂のマークの付いたカレーはどこで買えますか?」といった問合せをお客様からいただくことが少なくありません。日本で初めて国産カレー粉の開発を行ったカレーカンパニーのハチ食品として、日本人のカレーの原点である蜂カレーをお届けしたい、美味しい本格的なカレーを召し上がっていただきたいという想いから、蜂カレーをリニューアルして生産することになりました。また、その蜂カレーを使用して、カレールウとレトルトカレーを開発いたしました。

蜂カレー カレー粉
蜂カレー カレールー
蜂カレー 本格ビーフカレー

蜂カレーの特徴 蜂カレーの特徴

22種類以上の厳選されたスパイス 22種類以上の厳選されたスパイス

蜂カレーは22種類以上のスパイスを調合することで、味の深みや絶妙なバランスを調整し、スパイス本来の香りや特徴を活かした製品作りにこだわっています。

今村弥兵衛伝承の調合とブレンド技術 今村弥兵衛伝承の調合とブレンド技術

スパイスは、調合だけでなく焙煎の方法によっても味が大きく変わります。より味わい深く焙煎するための鍵を握るのが、投入順序や焙煎温度、焙煎時間です。これらを製品ごとに管理し、じっくりと焙煎することにより、風味豊かでコクの深い味わいに仕上げています。

発売当初から変わらない蜂マークのパッケージ 発売当初から変わらない蜂マークのパッケージ

蜂カレー粉発売当初のパッケージにもとづき、蜂のマークを用いたレトロなパッケージとなっています。若い女性にも好評のパッケージです。

安心の国内工場での生産 安心の国内工場での生産

ハチ食品では、製品の製造や包装を国内にて行っています。カレー粉とカレールーは、兵庫県で、レトルト商品は、長野県で製造しています。